けっこう図書館に行くことが多いんですよ。
自分の読む本も借りたりするんですけど、主に子供たちに読み聞かせする本を借りています。
子供と絵本を読むって楽しいですよね。教育的観点からも絵本から語彙力や想像力の発達に寄与するんだとかなんだとか。
読み終わったあとに「どう思った?」とか聞いてみてコミニュケーションにもなるし、自分で伝える力もついてくるんだと思います。うちの娘は殆どが「楽しかった」「長かった」なので残念なところですが。いや、語彙力。
そんな僕らの図書館ライフなわけですが、ある日、図書館で一冊の本が僕の目に飛び込んできました。
おわかりいただけただろうか。
もう一度ご覧いただこう。
そう
悲しみのゴリラ。
なんだこのパワーワード。
「悲しみのゴリラ」のせいで一緒に並んでる「しろくまくんおてがみですよ」が面白みのない駄作にすら見えてくる。
悲しみのゴリラ。それは図書館の本棚にひっそりと佇んでいた。ひっそりと、だが力強く。その力強さはまるで・・・そう、まるでゴリラのように。いや、語彙力。
僕の語彙力はともかくとして、なんだよ「悲しみのゴリラ」って。こんなのこのパワーワードだけで即借りるだろ。CDで言うジャケ買い状態。
そんなわけで内容も見ずに借りてきた「悲しみのゴリラ」ですがね。
裏切られました。
(裏切られたもなにも内容なんて1ミリも想像していなかったとはいえ)こんなグッとくる絵本だとは思いませんでした。
※以下、ネタバレがありますのでご注意下さい。
物語はママのお葬式からお話が始まります。
パパと二人家族になってしまった男の子のもとに一匹のゴリラが現れます。
「ママはどこにいったの?」「どうしてママはしんだの?」男の子の問い掛けにゴリラは優しく一つひとつ答えてくれます。
パパはずっと男の子の傍にいてくれています。
男の子がお絵かきしている傍でお料理をしたり、一緒に凧あげしてくれたり、公園に連れていってくれたり、男の子が眠っている間に洗濯物を畳んだり、スクールバスのお見送りをしてくれたり。
だけども男の子が語りかけるのはいつもゴリラ。
「ママはもうかえってこないんだよね?」「いつになったらかなしくなくなるの?」。
作中、このゴリラの存在や意図については明確に語られていないため、読み手によって解釈が分かれ、この本自体の感想が大きく分かれるところだとは思います。
個人的には本書の翻訳をされた落合恵子さんが裏表紙に記載された以下の解釈がしっくり来る読み方だと思います。
少年は最愛の母親を亡くした。自分と同じように悲しみ、苦しんでいるであろう父親。その父親に思いを打ち明けることもできない少年が心につくり上げたのは、大きく、寡黙なゴリラだった。
とはいえ、実際に本当のゴリラがいると読む人はいないかな。
ゴリラが葬儀場にいたら葬儀どころじゃないし。
男の子はパパもつらい思いをしていることがわかったし、おまけにママがいなくなって家事に仕事に追われているパパに甘えることが出来なかったんだと思います。
ゴリラは男の子の気持ちの整理の時間を見守ってくれました。
そしてある日、男の子はパパのもとに行き、こう言います。
「パパ・・・。」
「ママにあいたい。」
パパは男の子を抱きしめ、ゴリラは男の子を抱きしめるパパごと、その大きな手で抱きしめます。
「ママのわらいごえ、おぼえてる?」
「じょうだんばっか、いってたなあ」
「パパも、ママにあいたい。」
「しってるかい?おまえは、わるとママそっくりだ。」
パパも男の子も、自分の気持ちを伝え合います。
ゴリラはもう何も言わなくなっていました。
ゴリラは二人の様子を見届け、そっと二人のもとを立ち去り、物語は終わります。
各々がママを失った生活を過ごし、二人で悲しみを分かち合えるようになるまでの物語が優しく表現されています。この作品の持つ「寂しさ」や「悲しさ」も水彩画で描かれた絵がすばらしくマッチしていますし、見開きページを使用したパパへの告白はたまらない。
そんなわけで今日は割と真面目に感動した本を紹介させていただきました。
オススメの絵本です。サクッと読めるのに確実の心にくる絵本です。
どうだったでしょうか。銀魂とかで見慣れたゴリラの立ち位置と全然違うから注意してね。
え?この記事の感想?
「長かった」?
いや、語彙力。