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映画「BLUE GIANT」を原作読了済の夫と未読の妻が観た結果【超ネタバレ有】

 

はい、「BLUE GIANT」大好き半蔵です。

僕は何かの漫画アプリで原作のBLUE GIANTを数話読み、BLUE GIANTの虜…
いや、この頃はもっとシンプルに、常に真摯に全力で走っている主人公、宮本大の魅力にやられた感じだったと思います。アーニャ風に言えば「ハンゾウ いっしょうけんめいな だい すき」です。

そんな僕はBLUE GIANT映画化のニュースを見た時は大層嬉しかったですし、映画館へも速攻一人で観にも行きました。

そして色んな感情はありつつも(あのシーンがカットなのはどうなんだ?ラストの映画オリジナルの展開はどうなの?等々)、結果的には感動したし、僕は映画館でめっちゃ泣いていたおススメ映画なのです。

 

そんな映画BLUE GIANTが、Prime Videoで視聴が可能だったため家族で、上映会を開催したのですが原作未了の奥さんとけっこう感想が違っていました。

 

BLUE GIANT

BLUE GIANT

  • 山田裕貴
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順風満帆にうまく進みすぎ

原作未了の奥さんからすると「あれよあれよとステップアップしていって盛り上がりに欠けた」とのこと。

映画は「大が日本を旅立つまで」を映像化していることを考えると、原作の単行本10巻分のストーリーであることになります。これを2時間の作品にしようとするとどうしても駆け足になってしまいます。

そしてその時間の制約からか、本映画は「大が実力をつけていく仙台編」をバッサリとカットしています。この仙台編は大の修行編とも言えるパートなわけで、初のライブ参加で客のおじさん(佐藤さん)に怒られたり、師匠の由井さんの厳しいレッスンや、全て一人で立ち向かっていく姿など、大の挫折や試行錯誤の描写がバッサリとカットになってしまうわけです。

 

また、原作BLUE GIANTでは、これら大が突き進んでいく様子と、それに関わる人の魅力や聖人的な優しさなども、僕がこの漫画を愛おしいと感じている大きな要素なのですが、そのあたりの要素も少なめ。

家族の幸せのために自分の人生捧げすぎだろのでっかい兄ちゃん、大の練習量を褒めて初ライブに繋げてくれた小熊さん、天真爛漫に大を応援してくれる三輪さん、渓流釣りの所長、ミュージックティーチャー黒木…挙げだしたらキリが無いぐらい素敵な人たちで溢れてるんです。

その人たちとの交流が無いのはやはり物足りなさを感じるところではありました。

 

みんな天才で感情移入出来ない

前述の「大の修行パート」が無いために、大は物語冒頭から「たった3年のキャリアで実力・才能溢れるプレーヤー」として存在し、物語は進行します。振り返ってみれば結果的にこの映画では大が一番主人公してない感があるかもしれません。原作では人間臭くてすごく魅力的な主人公なのですが、映画ではキャラクターの深堀がされていないのは事実でしょう。なんか常に自身満々でちゃんと結果が出てる圧倒的主人公補正で面白味が無かったのかも…。

 
ピアニストの雪祈に関しても元々「天才ピアニスト」的キャラクター設定のせいもあり、そのような印象を与えてしまうのは仕方がないかもしれません。
映画でも「平さんからの叱咤からの雪祈が殻を破る」一連の流れは描かれていましたが、この辺りも原作よりも展開が早かったために、なんだか簡単に覚醒したようにも感じてしまう要因かもしれません。

その過程でのアオイちゃんとの再会とかむっちゃ泣けるんやけどな。


そしてドラムの玉田に関しては、原作ファンとしても「やっぱりそうやんな」という感じではあります。

日本の最高峰のジャズクラブへドラム歴1年半の大学生が出演、と考えればまぁ出来過ぎ・やりすぎですよね。

原作はもちろん映画に比べて玉田の努力・成長が描かれているのですが、これらの内容もやはり映画では結構バッサリいってるので、映画だけ視聴された方には余計にそうが感じられるのかもしれません。

とは言えこの玉田の成長のストーリーは原作においてもとても魅力的な要素で…雪祈が玉田を認めていく過程とかもマジ熱いんすよ。

 

雪祈の交通事故について

これについては奥さん曰く「急に交通事故とかされても冷める」とのこと。

たしかに漫画において、このような事故でリタイア・亡くなる…という展開はある意味飛び道具のようなもので、無条件で悲しい感情を湧き起こす展開ですので、卑怯な戦法とも言えるのかもしれません。


ただ、原作を読んでいた時の僕は、心から衝撃と絶望の感情が渦巻いておりました。(映画を観ながらも後半は「あのシーン来ないでくれ…」と思ってしまったほどに)

原作を読んでいた時にそこまで感情が揺さぶられたのはやはり、僕がJASSのメンバーと苦楽を共にしてきたからでしょう。

 

「何言ってんだこいつ」と思った皆さん。ちょっと聞いて欲しい。

 

大と雪祈が出会ってバンドを組んだのが単行本で言うと第五巻。

その第五巻で既に雪祈は玉田とも出会い、巻末ではあの胸熱セリフ「ドラムの8と16ビートの次って何を教えんだっけ?」を放っています。

そして悪夢のあの交通事故が発生する単行本第十巻

事故直前にあの雪祈が玉田に「お前、うまくなったな。ドラム、上手くなったな。」と素直な賞賛を送る。漫画で読んでいた時すでに嫌な予感がめちゃくちゃしてたんですけど、出会った当初は玉田に「ムリだから。200パーセントムリ‼」と冷たく言い放っていたのに…この関係性の変化の集大成が涙もの。

 

つまり僕は(僕たちは)約5冊分JASSのサポートメンバーとして歩んできたわけですので、雪祈の突然の事故はリアルの友人の事故と同義なわけです。

友人の事故に「この展開は無いわ~」とか思わないですよね?

 

ただただ辛いんですよ。

しかも俺のダチの雪祈はマジでピアノ上手くて、ずっと努力してて…あいつは周りからは「天才」なんか言われてるけど、マジであいつ努力の天才だから。しかもさ…明後日は雪祈がずっと憧れていたステージに…最高のダチの大と玉田で三人で立つんだぜ!?

その雪祈が…なんでっ…!

 

という感情なわけです。

 

それが本映画ではじめてJASSの3人と触れ合う方たちは…

 

その思い出は時間にして約1時間。

 

そりゃあ「急に交通事故」と思っちゃうよね。くそう。

 

重体の身でSo Blueに立つ雪祈

映画オリジナルのこの展開。

原作では雪祈の事故によってSo Blueでの3人での演奏は実現しませんでした。

それが映画オリジナルでは雪祈が会場に現れ、アンコールを3人で演奏します。

 

原則では叶わなかった3人の夢が実現…なのですが、個人的にはモヤモヤした場面でした。

 

僕個人の見解では

雪祈があんな状態でSo Blueの舞台に立つかなぁ?

という違和感。

 

雪祈は中学生の頃からSo Blueの舞台に立つことを夢見て、努力してきました。

そして川喜多さんに言い切った「ナメたことは、一度もありません。」

 

そんなこれまでの雪祈の覚悟を見てきた僕としては、少なくとも片手しか使えない(=100%のパフォーマンスを発揮出来ない)状態で最後に3人の思い出作り的にあそこに立つかなぁという違和感。

 

そんなことを奥さんに伝えながら感想も聞いてみると

 

「まず2日前に交通事故にあって演奏自体できんやろ」

 

あ、そやな…。

 

おわりに

原作知っている僕としては物語を補完しながら観れたけど、原作知らない人は少し駆け足感のある映画かもしれません。(とはいえ奥さん的には面白くなかったわけでは無いそうです)

 

なんやかんや色々と書きましたが

 

原作は神漫画なので、とりあえず原作読んでみてください!