みんな集まれ半蔵門

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母の日2025

 

時は2025年5月11日、世間は母の日という祝祭感に包まれている。

僕達にとってそれは、年に一度訪れる、愛情と予算の狭間で繰り広げられる壮大なるミッションの始まりを意味していた。今回のエージェントは、小学校4年生の長女と1年生の次女だ。

 

ちなみに、以前この日に向けて芝居を打つ作戦を立てたんですが、前日に長女に熱が出て色々作戦変更となって、普通に妻に「プレゼント買いに行ってくる」と宣言して日曜のショッピングモールへと繰り出しました…。

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本日の予算

ショッピングモールには心なしか、我が家と同じく「父+子」という組み合わせのパーティーが多いように感じた。皆、一様に神妙な面持ちで、それでいてどこか途方に暮れたような表情を浮かべている。彼らの背中には、「妻(母)への感謝」という重くも輝かしい十字架が、見えない鎖で括り付けられているかのようだ。

 

我々の今回の軍資金は、長女がコツコツと貯めた1,100円。そして次女はなけなしの240円。この絶妙に心許ない予算で、母に最大限の幸せを届けなければならないのだ。

 

帽子はどうですか

最初の戦場は、帽子屋だった。

様々な色と形の帽子が、まるで印象派の絵画のように雑然と、しかし計算され尽くしたかのように並んでいる。

 

「お母さんに似合うのあるかなあ」と長女が物色を始める。一方、次女はというと、おもむろに一つの帽子を手に取り、数秒間熟考したのち、こう言い放った。

「お母さんに似合うのが無いね」

僕はすかさず、次女に尋ねる。「似合わないのはお店のせい?それとも、お母さんのポテンシャルのせい?」

 

すると次女は、間髪入れずにこう答えた。

「お店が悪い。ちょっと品揃えが良くないと思う」。

帽子屋さん、すみません。

 

箸置きなんかお手頃なお値段ですが

次に我々が足を踏み入れたのは、ファンシーな雑貨屋さんだった。

そこで、かわいらしいトマトの形をした箸置きを見つけた。これなら次女のお小遣いでも手が届きそうだ。僕は、素晴らしいアイデアを思いついた発明家のように、意気揚々とそれを勧めてみた。

「これ、可愛くない?お母さん、好きそうやし」

 

すると次女は、その小さな瞳で箸置きをじっと見つめ、やがてこう言った。

「かわいいけど、箸置きなんかうち全然使わないよね?」。

 

…たしかにそうだ。我が家の食卓で箸置きが活躍する姿など、ここ数年、いや、結婚してから一度も見た記憶がない。私は雪の降らない国に、最新式のスノータイヤを売り込んでしまったのだ。

 

ぶっちゃけ、次女の所持金的に選択肢が少なく、先行きが不安になってきたのがこの頃。

 

素敵なお菓子はいかが

気を取り直して、今度は色鮮やかなゼリーが目に留まった。キラキラと輝くそれは、まるで宝石箱をひっくり返したかのようだ。

「これはどう?美味しそうだし、見た目も華やかだよ」と、僕は二人にプレゼンテーションした。すると長女が、こう言う。

 

「うーん、食べ物は全然違う。やっぱり残るものじゃないと。全然違う」

全然違う×2である。

 

これには次女も、「そうそう、形に残らないと意味ないよね!」と、力強く同意していた。やはり形が残るものが良いそうだ。

 

今日プレゼント決まるのか?と不安になっていたのがこの頃。

 

母の日の定番

母の日のプレゼントといえば、やはり定番は花、カーネーション。僕は、まるで最後の切り札を出すデュエリストのように、二人を花屋へと誘った。

色とりどりの花々が、まるでモネの庭園のように咲き誇っている。

「お花はどうかな?綺麗だし、お母さんきっと喜ぶと思うよ」。長女はしばらく花々を眺めていたが、やがて首を小さく横に振り、こう呟いた。

 

「花は…なんか違うんよなぁ」。

 

なんか違うらしい。なにがなのだ。

しぶしぶ店員さんに一礼してその場を去った。

 

アクセサリーなんてどう

アクセサリー売り場・・・と言ってもこちらもいわゆる雑貨屋さん。

しかし子供達には、キラキラと輝くネックレス、ピアス、指輪。それはまるで、夜空に煌めく星々のように、手の届かない存在感を放っている。

 

二人とも、目を輝かせて色々なものを手に取ってはみるものの、値札を見た瞬間に、まるで魔法が解けたシンデレラのように、そっと元の場所に戻すのだった。

 

決して高いものでは無いのだが、彼女たちの所持金とは釣り合っていないようだ。

資本主義の冷たい現実が、幼い姉妹の肩に重くのしかかった5月の思い出。

 

混沌

やべー決まらねー、と焦る僕を尻目にはじまる「白のマスしか踏んじゃいけないゲーム」。

 

迷惑になるので止めなさい。

普通に怒りました。

 

3COINS

絶望感が漂い始めたその時、僕たちの目に飛び込んできたのは、庶民の味方、3COINSの看板だった。

まるで砂漠でオアシスを見つけた旅人のように、我々は吸い寄せられるように店内へ。ここなら、何かが見つかるかもしれない。そんな淡い期待を胸に、三人は再び宝探しを始めた。

 

そして、ついに二人が目を輝かせた。こんなかわいいネックレスやピアスがぜーんぶ330円!?それは、まるで彼女達のためにあつらえられたかのように、彼女達の予算と美的感覚に完璧にフィットした。これなら、長女のお小遣いで十分に足りる。

一方、次女の予算ではどうにもならなさそうだったので、2人平等に100円づつ援助することにした。

 

こうして無事、渾身のプレゼントとして長女は550円のネックレス、次女は330円のピアスを購入することが出来た。

 

母の日2025

結局、ネックレスを手に入れた長女は、すっかり安心したのか、先ほどまで「食べ物は全然違う」と断言していたにも関わらず、突然「ねえ、やっぱりさっきのゼリーもプレゼントしたいな。お母さん、甘いもの好きだし」と言う。

おいおい、である。鮮やかな手のひら返し。

しかし、その瞳は真剣そのものだ。どうやら、本命のプレゼントが決まったことで心に余裕ができ、サブのプレゼントにも目が向くようになったらしい。子供の心変わりとは、かくも不可解で、そして愛おしいものか。

 

家に帰り着くと、妻はリビングで寛いでいた。娘たちは、まるで宝物を抱えるようにプレゼントを隠し持ち、緊張した面持ちで妻の前に立った。そして、「お母さん、いつもありがとう」という照れた声と共に、それぞれのプレゼントを手渡した。

 

妻はすぐに満面の笑みを浮かべた。娘たちの選んだネックレスとピアス、そしてゼリー。それは、決して高価なものではないかもしれない。しかし、そこには、娘たちの精一杯の愛情と、僕のささやかな援助、そしてショッピングモールでの小さな冒険の記憶が詰まっているのだ。

 

妻は、娘たちを順番に抱きしめ、僕たちの心を温かく包み込んだ。

 

母の日とは、かくも奥深く、そして時に予測不可能なドラマに満ちた一日なのである。そして僕は、来年のこの日に、また新たなミッションに挑むことになるのだろう。その時、娘たちはどんな成長を見せ、そして僕は、どんな珍道中に巻き込まれるのだろうか。

まあ、それもまた、悪くない。