みんな集まれ半蔵門

子供の事とか映画の事とか戯言とか

子供を美容院に連れていくとほっこりした話

 

先日、初めて娘たちの付き添いで美容院に行った。

今まで付き添いについて特段しぶったわけでは無いのだが、たまたまタイミングもなく、そういえば初めて一緒に行くな、という感じだった。

 

娘たちを美容院に連れていくにあたって、懸念事項が一つだけあった。

娘たちは、僕のDNAをしっかりと引き継いだ(引き継がされた)「西日本一の人見知り」だ。彼女たちは、家では歌って踊って場を盛り上げるエンターテイナーとして活躍している。

だが、一歩外に出て、特に見知らぬ大人と対面するとなると、その途端に彼女たちは、まるで危険を察知したアルマジロのように丸まって固まってしまうのだ。美容院に行くこと自体には、別に抵抗があるわけではないらしい。むしろ、少しお姉さんになれるという期待感はあるようだった。問題は、そこで遭遇するであろう「美容師さんとの会話」だった。

 

予約時間の少し前に美容院の前に立った時、娘たちの顔には既にその「見知り」による緊張が張り付いていた。ドアを開けて店内に足を踏み入れると、ふわっと心地よい香りが鼻腔をくすぐり、穏やかな音楽が流れ込んできた。

だが、そんな癒やしの空間を前に、既に娘たちの顔は能面のように見事に「無」となっていた。

 

受付で名前を告げると、担当の若い女性美容師さんが、絵に描いたような優しい笑顔で迎えてくれた。その笑顔は、凍てついた大地にも春を告げる陽光のように暖かかった。だが、娘たちのATフィールドは強固だ。美容師さんが「こんにちは」と声をかけると、二人は蚊の鳴くような声で「こ、こんにちは…」とだけ答え、再び無言の壁の中に立てこもってしまった。誰かやまびこえんまく下さい。

 

席に案内され、カットクロスをかけられた娘たちは、まるでこれから未知の試練でも受けるかのような、神妙な面持ちになった。

美容師さんはそんな娘たちの様子を見て、無理に話しかけようとはせず、まずはカットの準備を始めた。チョキチョキとハサミの音が響く。その音だけが、張り詰めた空気を切り裂く唯一の響きだった。

しばらくして、美容師さんが鏡越しに優しく話しかけてきた。

「お姉ちゃんは何年生?」

来た。大人との会話タイムの始まりだ。長女は鏡の中の自分と美容師さんを交互に見て、答えをどう構築すべきか、その小さな頭の中で思考の嵐が巻き起こっているようだった。その表情は、まるで宇宙の果てにある答えを探し求める哲学者のようだった。そして、熟考の末に絞り出された言葉は、「よ、よんねんせい…」だった。その声は、あまりにもか細くて、まるで遠い星屑が地球に届いたかのような、微弱な光のような響きだった。

 

次に次女に質問が飛んだ。「お姉ちゃんは何年生?」次女は、長女の答えを聞いて少しだけ安心したのか、先ほどよりは少しだけ大きな声で「いちねんせい…」と答えた。しかし、やはりその声には、まだ人見知りのフィルターが強くかかっているのが分かった。まるで、水の中に沈んだ音を聞いているような、くぐもった響きだった。

 

質問は続く。好きな食べ物は?好きな遊びは?

質問自体は何の変哲もない問いではあるが、「知らない大人」への対応に加えて「パパが見ている」妙な恥ずかしさもあるのだろう。

次女は「えっと…」と考え込む。その間は、まるで広大な迷宮の中で出口を探す旅人のように、何かを必死に見つけ出そうとする懸命な努力が感じられた。そして、絞り出すように言った答えは、「いちご…」だった。

ほう。いちごか。まあ、定番中の定番だ。誰もが納得する、無難な答えだ。

しかし僕は知っている。君は「今日何食べたい?」と問うと即答で「お肉ー!」と答える肉食系女子じゃあないか。

きっとその小さな頭の中で、「この美容師さんに、最高の自分を見せるには、何を答えるべきか」という、自己プロデュースに関する高度な計算が働いたのだろう。

合コンでもこう振る舞うんだろうか、と頭によぎって少しだけ悲しくなった。

 

美容師さんは、そんな僕の心など知る由もなく、娘たちのどんな答えにも優しく相槌を打ち、にこやかに話を進めてくれた。

カットが進むにつれて、娘たちの表情は少しずつ柔らかくなっていった。美容師さんとの短いやり取りを重ねるうちに、「この大人は安全だ」という認識に至ったのだろう。鏡の中の彼女たちの顔に、ほんのわずかだが笑顔が見られるようになった時、僕は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。それはまるで、長いトンネルを抜けて、ようやく光が見えてきたような、安堵と喜びの入り混じった感覚だった。

 

そして、カットが終わり、新しい髪型になった自分の姿を見た娘たちは、満足そうな、それでいて「大人との会話を終えた」どこか誇らしげな笑顔を見せた。髪が短くなったことで、彼女たちの心も、少しだけ軽くなったように見えた。

美容院を出て、春の日差しの中を歩く。娘たちはもう、先ほどの緊張など微塵も感じさせず、二人でキャッキャと楽しそうに話している。美容院での出来事について、興奮気味に語り合っているようだった。「あの美容師さん、優しかったね!」「うん!」「髪型、気に入った?」と僕が聞くと、二人とも「うん!」と元気よく答えた。その笑顔を見ていると、僕の心の中に、満開の桜のような温かい気持ちが広がっていくのを感じた。

 

家に帰り、妻に今日の出来事を報告した。娘たちが最初どれだけ緊張していたか、美容師さんがどれだけ優しく対応してくれたか、そして娘たちが一生懸命に答えをひねり出していた様子を。妻は面白そうに聞いてくれた。

 

今回の美容院付き添いというミッションを通して、僕は子供たちの「人見知り」の深さと、それを乗り越えようとする小さな努力、そして人の優しさの力を改めて感じた。そして、もう一つ、大切なことを学んだ気がする。それは、子供たちの心の中には、大人が想像するよりもずっと広くて深い世界が広がっている、ということだ。