ここ数年、ファッションって「オーバーサイズ」とか「ゆったり系」的なファッションが許されているじゃないですか?
僕はもう、このデブ怠慢救済措置に生かされていると言っても過言では無い。
冬眠中の熊がうっかり春と間違えて起きてしまったところに、「大丈夫、まだ寝てていいよ。むしろ寝てた方がいいよ」と毛布をもう一枚かけてくれたような、そんな暖かさを感じている。
この数年、僕は人生最重記録を更新し続けている。
職場の服装規定の変更によって、うちの会社はいつからか私服OKになった。これがもう、ボディラインを崩壊させるための罠だったとしか思えない。スーツという名の鎧を脱ぎ捨てた僕は、引退した騎士よろしく急速に弛緩していった。体も、心も、そしてウエストも。
スーツなんて、今や年に一度、会社の株主総会の日ぐらいしか着なくなった。去年の株主総会では、椅子に座るたびに腹部の肉がスーツの生地を圧迫し、スーツは悲鳴をあげていた。
だから、本当に、このオーバーサイズブームには頭が上がらない。感謝しかない。この波に乗ることで、僕はなんとか社会の端っこに留まることができている。ゆったりとしたシルエットの服が、僕の弛みきったボディラインを、まるでベールのように、あるいはマジシャンのマントのように、完璧に隠してくれる。
思えばその昔、僕はB系ファッションを「あんなもん、デブに残された最後のファッション手段だろ」と心の中で、いや、むしろ声に出してバカにしていたことがある。
若かったんだ。痩せていたんだ。そして、恐ろしく傲慢だったんだ。
当時の僕は、細身のジーンズをピチッと履きこなし、タイトなシャツを着るのがクールだと思っていた。自分の体型に自信があったからこそ、そうではない人たちを安易に嘲笑していたんだ。
今になって思うと、あの頃の自分をタイムマシンに乗って、思いっきりぶん殴りたい。鼻血が出るまで殴りたい。今、まさにその「デブに残された最後のファッション手段」と思われたような、ゆったりとしたシルエットの服に、僕は生かされているのだから。人生最大のブーメランが、見事に僕の腹に突き刺さった感じだ。しかも、そのブーメランはオーバーサイズ仕様で、突き刺さった部分までゆったりとしている。
今の僕が、あの頃流行っていたようなタイトな服を着ようものなら、それはもうホラー以外の何物でもない。スキニーパンツを履いたら、太もものあたりがまるで破裂寸前のソーセージのようになり、見る者すべてに胃もたれと悪夢を与えるだろう。タイトなシャツを着たら、ボタンは悲鳴を上げて吹き飛び、お腹の肉が「やあ、久しぶり!」と顔を出すどころか、自立歩行を始めるかもしれない。想像するだけで、吐きそうだ。
このオーバーサイズブームがいつまで続くのか、それが僕の今後の人生を左右すると言っても過言ではない。しかし残酷なことにファッションのトレンドというものは繰り返すものである。
突然「やっぱり時代は極細でしょ!」みたいな風潮になったら、僕はもう裸で生きるしかないのかもしれない。
そんなわけで僕はオーバーサイズブームという名の保護区の中で、ひっそりと体を鍛え、食を減らし、来るアルマゲドンに備え始めた。
ファッションの神様、お願いです。このムーブメントは僕が瘦せるまで維持してください。
ところで、最近はコーディネート動画とかが流れて来て、猫も杓子も太デカワイドパンツタックインだらけで辟易としてはいる。