今週のお題「試験の思い出」。
大人になると試験とは縁遠くなるものです。
この前の宅建士試験の勉強とか久しぶりに机に向かっての勉強で苦労しました。
「試験」といえば、僕は高校の頃のT君の奇想天外な回答が思い出させられます。
いつかの記事でも書いたと思いますが、僕は頭の良くない高校の頭の良くない学科に通っており、そこで仲の良かったのがT君という坊主頭の少年でした。彼は生粋の天然キャラと、このクラスに相応しい学力の持ち主でもあり、みんなから愛される存在でした。
ある日の地理のテストの問題で『琉球王国の特産物を3つ書きなさい』という問題がありました。もの凄くレベルの低い問題だとは思いますが、まず「琉球」が沖縄と結びつくかが前提で、回答は黒糖とか泡盛とか書いとけば点が貰えていたと思います。
テストが返却されたその日、T君の答案を見せてもらうと彼の3つの回答欄には空欄が2つあり、絞り出された答えが1つだけ埋められていました。
彼の回答は
『白熊』
何故だ。
爆笑しながらもT君に理由を聞くと
T君「だって『琉球』ってなんか寒そうやん?」
やん?じゃねーよ。
むしろ寒さと真逆。というか生き物は特産物では無いだろ。
ちなみに正確に言うと彼の答案には「白熊」と書きたくて「白態」と書き間違っていたというオマケ付き。白熊でも間違いだけどね。
(本人はそれを僕らに指摘されるまで気付いてもいなかったけど)
またある日は日本史のテストで、たしか『明治維新に関する出来事について説明せよ』という感じの問題が出た。先程の問題からすると記述式の問題で難易度が上がって回答出来ないのも致し方無いかもしれない。とは言えこの問題は「開国」「尊王攘夷」「大政奉還」とかのそれっぽい単語を並べておけば、いくらかの得点を貰えたような問題でした。
そしてこの問題に対して、我らのT君の回答とはというと?
『明治維新のために坂本達が動いたのだった・・・。』
回答に「だった・・・。」って!?
これはもう僕の中で天才的且つ斬新な回答として胸に刻まれている。
Tの坊主頭を叩いてみれば答案開花の音がしました。
まず彼は明治維新について「坂本竜馬が活躍した何か」ぐらいしかわからず、そもそも書く材料が無かったそうだ。唯一わかっていた「坂本龍馬」にしても「龍馬」の漢字がわからず「坂本」と省略し、「活躍」の漢字も(当然)わからなかったために「動いた」と書き替えた結果、何だか含みを持たせたカッコいい表現となったということだった。
そしてこの回答の一番斬新的なポイントである「だった・・・。」という書き方について、興味津々でT君に質問してみると
T君「これはちゃうねん!俺も坂本龍馬が何かしただけじゃないのはわかっとるねん!明治維新って他にも活躍した人とか色々事件ってあったやん?だから俺は物語が他にもあるって、俺はわかっとるって先生にアピールのために『・・・。』ってしてん!『・・・。』って物語は他にも続くって感じするやん!?部分点貰えると思ってん!」
T君は彼の吉田松陰が弟子達に政府打倒を説いた時のような熱量で持論を力説したのですが、聞いている僕らが「・・・。」でした。松陰の弟子達も最初はこうだったのかも知れませんね。
そんな珍回答を連発するT君ですが、これが大喜利だとかウケ狙いじゃないから恐ろしい。それは彼の普段からの純粋さ(と頭の××さ)からも皆わかっているし、彼は返ってきた答案(と低い点数)を再度先生のところに持って行き「先生、ここ正解にちょっとかすってるから1点頂戴よ!」と本気で詰め寄るぐらい点数に拘ってる少年だった。
とは言え1点を貰ったところで26点が27点になるだけなんだけれど…。
少し将来を不安視していたT君ですが、今では東京で働く立派なパパです。
結婚式でT君の上司の方や取引先の方がスピーチをされていたのですが、社交辞令はあれどT君の働きっぷりを評価する言葉には胸が熱くなったものです。
こんなご時世なので長らくT君には会えていませんが、気兼ねなく人と会える日常に戻った暁には、泡盛でも酌み交わしながら皆であの頃の話でもしたいものですね。
頑張ろうぜ、T。
俺達の友情は色褪せずこれからも続いていく・・・。